柔らかい苗木だからといって、無理に曲げたりして、自分の自由気ままに育てようとすれば、どんなに強い木であっても、傷ついて、やがて、成長したところで、ひねくれたり、ねじれたりして、役に立たない木になってしまう
思い通りに曲げて育てれば、どんな素質があっても損なわれる。
東海市が現代語で紹介している一節。
前項と対になる言葉である。手をかけよと言った直後に、思い通りにしようとするなと釘を刺す。平洲の教育論は、この二つの間に置かれている。
「自分の自由気ままに育てようとすれば」という一句が要である。育てる側の都合で形を決めることを、平洲ははっきり否定している。手をかけることと、思い通りにすることは違う。
「どんなに強い木であっても」とわざわざ断っているのも見逃せない。素質のある者ほど、無理に曲げられたときの損なわれ方が大きい、と読める。
現代の職場でも、熱心な指導と支配の区別がつかなくなることがある。相手の伸びる方向に沿って支えているのか、自分の望む形に矯めているのか。平洲の言う分かれ目はそこにある。