伝国の辞
でんこくのじ
国も民も君主の私物ではない。君主のほうが、国と民のために立てられている。
天明5年(1785年)2月、三十五歳で隠居する際、家督を譲った上杉治広に藩主の心得として渡したもの。
米沢市によれば、鷹山は天明5年(1785年)2月、三十五歳で隠居し、家督を養父重定の次男である治広に譲った。そのとき藩主の心得として渡したのが、この「伝国の辞」である。以後、米沢藩の基本方針として代々受け継がれた。
要点は三つである。一つ、国家は先祖から子孫へ伝えられるものであって、自分の私物ではない。二つ、人民は国家に属するものであって、自分の私物ではない。三つ、国家と人民のために立てられた君主であって、君主のために国家と人民があるのではない。
三つ目が核心である。主従の向きを逆に定義している。当時の常識からすれば、藩主が自らこう明文化したことは相当に踏み込んだ行為だった。しかも隠居してなお影響力を持つ立場から、次の藩主を縛る文書として残している。
平洲が説いた「君主は民の父母たれ」を、統治の原則として文書に落とし込んだものと読める。師の教えが、弟子の手で制度になった例と言える。
現代の組織論に置き換えるなら、経営者は組織の所有者ではなく受託者である、という考え方に近い。二百四十年前に、藩主自身がこれを書き残している。
出典:米沢市「餐霞館遺跡」