君主たるものは民の父母でならねばならぬ
くんしゅたるものは たみのふぼで ならねばならぬ
君主は、民にとって父母のような存在でなければならない。
江戸の米沢藩邸で、平洲が少年の鷹山に説いた教えとして米沢市が伝えている。
支配する者と支配される者、という関係ではなく、養い育てる者としての君主像である。父母は子から取り立てるのではなく、子のために働く。その比喩で君主の役割を示した。
平洲が苗木の比喩で「大木としての親や周りのかたが、幼い子の陰日なたとなって、風雨から身を守るように」と説いていたことを思い出したい。民の父母という言い方は、単なる情愛の話ではなく、風雨から守る役目という具体的な定義を持っている。
この教えは、のちに鷹山が家督を譲る際の「伝国の辞」に、より明確な形で現れる。国も民も君主の私物ではなく、君主のほうが国と民のために立てられている、という考え方である。十四歳から受けた教えが、三十五歳のときに藩の基本方針として文書化されたことになる。
組織を預かる者が、組織を自分のものと考えるか、預かりものと考えるか。この違いは今も決定的である。