郊迎
こうげい
藩主が、師を城下の外まで自ら出迎えたこと。
寛政8年(1796年)9月6日。国指定史跡「上杉治憲敬師郊迎跡」。
言葉というより出来事だが、この師弟を語るうえで欠かせないので挙げておく。
寛政8年(1796年)9月6日、平洲三度目の米沢来訪にあたり、鷹山は郊外の関根まで自ら出迎えた。平洲は六十九歳、鷹山は四十六歳。十数年ぶりの対面だった。二人は参道をともに歩き、新築まもない普門院で長旅をねぎらったと伝えられる。
身分から言えば、藩主が学者を城外まで迎えに出る必要はない。それをした事実そのものが、鷹山にとって平洲がどういう存在だったかを示している。この場所は昭和25年に国の史跡「上杉治憲敬師郊迎跡」に指定された。
普門院には休息した部屋と茶器・湯桶などが当時のまま残り、境内には大正4年建立の「一字一涙の碑」がある。師の一字一字に涙した、という意味で名づけられた碑である。
十四歳で出会った師と弟子が、五十年以上を経てここで再会した。平洲が没するのは、この五年後である。
出典:米沢市「普門院」