刈り上げ餅
かりあげもち
稲を干す手伝いをした侍が、実は藩主だった。安永6年秋の逸話。
言葉ではなく逸話だが、鷹山の姿勢を示すものとして挙げる。
安永6年(1777年)の秋、「ひでよ」という老婦人が稲を干す作業をしていたところ、二人の侍が手伝った。後日、ひでよは礼として刈り上げ餅三十三個を届ける。その侍が、実は鷹山その人だった——という話である。
米沢市によれば、ひでよは銀五枚の褒美をもらい、それで足袋を作った。その手紙と足袋は、現在も宮坂考古館に所蔵されている。物として残っている点で、単なる言い伝えとは性格が違う。
この逸話が語り継がれてきたのは、藩主が農作業を手伝ったという事実そのものよりも、名乗らずに手伝ったという点にあると思われる。示すための行為ではなかったからこそ、話として残った。
平洲の「先施」——相手の出方を待たず、自分の方から働きかける——を思い出したい。この場面で鷹山が手伝ったのは、教えを実践しようとしたからかもしれないし、単にそういう人だったのかもしれない。どちらであれ、藩主が二十七歳のときの話である。