学問するということは、知識を得るためだけのものではなく、学んだことを生活に生かして、よりよくしていくことが目的なのです
学問の目的は知識の獲得ではなく、暮らしをよくすること。
東海市が現代語で紹介している一節。
「学、思、行、相須つ」「学問と今日とは二途にならざるように」と同じ節に置かれている言葉で、二つの短い成句が何を言おうとしていたのかを、平易な形で示している。
注目したいのは「生活」という語である。国家でも学問の道でもなく、生活と言っている。平洲の学問は、常に具体的な暮らしの側から発想されている。
この立場は、当時としては当たり前ではなかった。学問は身を立てるための教養であり、儒学の解釈を精緻にすることが学者の仕事だとされていた時代である。そこに「暮らしがよくならなければ意味がない」と言い切る学者がいた。
十四歳で平洲に学んだ鷹山が、のちに漆・桑・楮の百万本植え立てや米沢織の育成といった、きわめて具体的な産業政策に踏み込んでいく。学問の目的をどこに置くかという教えが、そのまま藩の政策の形になっている。